K. 411

二本のクラリネットと三本のバセットホルンのためのアダージョ 変ロ長調 K. 411(K. 484a)

par Wolfgang Amadeus Mozart

Mozart from family portrait, c. 1780-81
Mozart from the family portrait, c. 1780–81 (attr. della Croce)

モーツァルトの二本のクラリネットと三本のバセットホルンのための《Adagio》K. 411(K. 484aとしても整理される)は、ウィーン初期(およそ1782〜84年)に結び付けられる、単一楽章の管楽曲である。実際に響く調としては変ロ長調に置かれながら、移調楽器ゆえに譜面上は込み入った姿をとり、バセットホルンの“暗い金色”の音色に惹かれたモーツァルトの関心を凝縮して示している。

背景と文脈

1780年代初頭、ウィーンに新たに腰を落ち着け、フリーランスの作曲家として独り立ちしたヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756–1791)は、公私の場で重宝された Harmoniemusik(管楽アンサンブル音楽)を愛好する奏者やパトロンの生き生きとした人脈を育んだ。ウィーンで管楽セレナードやディヴェルティメントが歓迎されたのは社交的理由だけではない。クラリネットがいよいよ存在感を増していく名人芸の管楽文化があり、さらにクラリネット族の中声部にあたるバセットホルンが、どこか“地元の名物”のように扱われていたことの反映でもあった。

K. 411もこの世界に属するが、いわゆる「BGM」的な振る舞いはしない。遅いテンポ、密集した声部配置、そして柔らかく溶け合う編成は、耳を澄ませることを前提にした意図を感じさせる——屋外の賑わいよりも、親密な響きと持続する旋律線のための作品だ。そうした性格ゆえに、本作は同時代のより名高い管楽作品(《セレナード 変ロ長調》K. 361/370a「“グラン・パルティータ”」や、のちの《Die Zauberflöte》《Requiem》におけるバセットホルン書法)と並べて聴きたくなる一方で、あくまで独自の、私的な発語として際立っている。

作曲と初演

作品の基本的なカタログ上の同定は確かなものだ。モーツァルテウムのケッヘル・データベースは、K. 411を二本のクラリネットと三本のバセットホルンのための《Adagio》として掲げ、管楽ディヴェルティメント/セレナードの伝統の中で伝承されてきた作品であり、Neue Mozart-Ausgabe(NMA)の管楽ディヴェルティメントおよびセレナード巻に収められていると示している [1] [2]

しかし、年代と作曲事情は一筋縄ではいかない。現代の参照情報では、モーツァルトのウィーン初期に置かれることが多く(1782年が有力視されがちだが)、一方で現存する資料の伝来や二次的な目録上の伝統には、より遅い推定(たとえば1783〜84年)が流通している例もある [3]。協奏曲やオペラのように、決定的な形で初演が記録されているわけではない。

また、楽譜の標題は、データベースや現代の編曲物でときおり見かける「K. 411 ヘ長調」という表記に対して、訂正が必要であることも示唆する。NMAと主要な目録が示すとおり、この作品は《Adagio 変ロ調》——つまり実際に響く調として変ロ長調——である [2] [3]。混乱が生じうるのは、ヘ調のバセットホルンが移調楽器だからだ。実用上、譜面では実音と一致しないように書かれることがある。要するに、たとえ一部パートが別の調で記譜されていても、聴き手が受け取る調的な帰着点は変ロ長調なのである。

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編成

モーツァルトはK. 411を、拡張されたクラリネット族の五つの管楽器のために作曲しており、その選択は異例なほど均質なブレンドを生む——中音域は暗く、両端はビロードのように柔らかい。

  • クラリネット: 2本(変ロ)
  • 低音/中音クラリネット族: バセットホルン 3本(ヘ調)

この編成は標準的な参考資料および演奏用資料に明記されている [3]

このアンサンブルの特色は、バセットホルンが加わっていることだけでなく、その本数にある。三本のバセットホルンによって、モーツァルトはクラリネットの下(ときに周囲)に、狭い間隔で並ぶ内声の「合唱隊」を書くことができる——まるでスローモーションのオルガンのレジストレーションのように——しかも重みをファゴットやホルンに頼らずに済む。古典派の基準で言えば、その響きはほとんど声楽的である。滑らかで、持続し、精妙な強弱の陰影をつけることができる。

形式と音楽的性格

題名が示すとおり、K. 411は単一楽章の Adagio ——多楽章ディヴェルティメントというより、凝縮された黙想である。書法は長いフレーズ、内声の丁寧な均衡、そして宙吊りにされたようなレトリックを好む。終止は、強く「到達」するというより、そっと用意されるかのように感じられる。

この作品は交響曲の緩徐楽章のように教科書的な形式を前面に掲げないが、それでも古典的な「段落」の組み立てが聴き取れる。静けさを確立する冒頭の構想、(派手な技巧ではなく、和声の充実や声部の密度によって)緊張が高まる中間部、そして均衡を回復する回帰部である。肝心なのは、モーツァルトが五つの楽器を対話する独奏者としてではなく、ひとつの呼吸する有機体として扱っている点だ。

ここでバセットホルンが重要なのは、異国趣味の色彩として付け足されているからではなく、作品の和声的エンジンだからである。バセットホルンの音域は、古典派和声がもっとも説得力を発揮する場所——旋律と低音のあいだ——にちょうど位置しており、モーツァルトは絵筆のような制御でテクスチュアを厚くも薄くもできる。クラリネットが上で歌うとき、バセットホルンは柔らかな和音でクッションとなることも、表面の旋律から注意を奪わずに響きを深める対旋律を紡ぐこともできる。

この意味でK. 411は、18世紀後半の洗練を極めた管楽書法の研究として注目に値する。ショーピースではなく、音色とバランスの実験——モーツァルトの技術を「内側から」見るような作品であり、のちに《Masonic Funeral Music》K. 477や《Requiem》で情感を帯びて輝くバセットホルン書法を先取りしている。

受容と遺産

K. 411は、モーツァルトの大セレナードや成熟したクラリネットの傑作のように中核レパートリーを占めてきたわけではない。ウィーンの管楽文化に焦点を当てた専門的なプログラムや録音で出会う、通好みの作品である。だが、まさにその知名度の低さこそが魅力の一部でもある。《Adagio》は、現実の都市で現実の奏者のために書かれたという実用性と、静かな冒険心(クラリネット族五声という異例のブレンドを、単一の遅い楽章として持続させる)を同時に体現している。

現代の聴き手にとって本作が与えるのは、ますます貴重になりつつある何か——弦楽オーケストラの温かさに頼らない、古典派の緩徐楽章である。温かさは外側から与えられるのではなく、内側から組み立てられる。バセットホルンのまろやかな核と、その上でほのかに輝くクラリネットによって。よく響く部屋で聴くと、K. 411は小品というより、音色そのものについての凝縮されたエッセイのように響きうる。ウィーンのサロンが、数分間の、完璧に重みづけられた息遣いと和声へと蒸留されたかのように。

[1] Mozarteum (Köchel-Verzeichnis) work entry for K. 411: scoring, catalogue context, and NMA reference.

[2] Digitale Mozart-Edition (Mozarteum): NMA VII/17/2 table of contents listing “Adagio in B flat for two clarinets and three basset horns K. 411”.

[3] IMSLP work page for “Adagio in B-flat major, K.411/484a”: general info including scoring and common dating ranges in reference listings.