
- ケッヘル番号
- K9 595 | K6 595
- ジャンル
- 協奏曲
- 形式
- ピアノ協奏曲
- 調性
- B Flat Major
- 日付
- 5 1月 1791
- 作曲地
- Vienna
- 年齢
- 35
本稿はモーツァルトのピアノ協奏曲第27番 変ロ長調K.595を取り上げ、作曲経緯と初演事情、トランペットとティンパニを欠く編成、三楽章の特徴(終楽章のK.596引用)や受容・演奏史を概説する。
作曲と背景
モーツァルトのピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595 は、彼の生涯最後の年(1791年)に作曲された、最後のピアノ協奏曲である[1]。自筆譜には1791年1月5日の日付が記されているが、用紙の分析から、実際にはその多くが1788年末ごろに書かれたことが示唆されている[2]。実際、モーツァルトは1788年に本作に着手し(2楽章と終楽章の一部を完成させ)、いったん棚上げしたのち、1791年初頭に新たな演奏の機会が生じてから仕上げに戻ったと考えられている[3]。これは前作のピアノ協奏曲からほぼ3年に及ぶ空白期間の終わりを意味し、ウィーン移住後の協奏曲制作史上、最も長い中断だった[4]。1791年の初め、モーツァルトは近年の経済的困難や人気の低下にもかかわらず、将来に楽観的であった[5]。彼はちょうどシュテファン大聖堂の副楽長に任命されたばかりで、その奇跡的な最晩年の年に他の作品にも忙しく取り組んでいた(多数の舞曲、オペラ『魔笛』、クラリネット協奏曲、未完のレクイエム)[6]。
変ロ長調のこの協奏曲は、特定の委嘱によらず、モーツァルト自身の演奏を念頭に置いて書かれたと見られる。初演はウィーンで1791年3月4日、ヤーンのホールでの私的演奏会において、モーツァルト自身が独奏者を務めた[7]。この催しはクラリネット奏者ヨーゼフ・ベールの主催で、モーツァルトがピアニストとして公の場に立った最後の機会だったとされる[8][7]。当時の初演評には「作曲においても演奏においても、誰もがモーツァルトの技に感嘆した」と記されている[9]。(別説では、モーツァルトの弟子バルバラ・プロイヤーがアウアースペルク宮で数週間早く初演した可能性も示されているが、現在では3月4日の演奏が初演だったとする見解が有力である[10]。)その年の後半にモーツァルトは病に倒れ、1791年12月5日に没したため、本作は一種の音楽的な別れとなった。1793年にアルタリア社から遺作として出版され、モーツァルトの全27曲のピアノ協奏曲の掉尾を飾る作品として、特別な位置を占めている。
編成
この協奏曲の自筆譜(1791年)の冒頭小節で、管弦楽の譜表が示されている。ここにはトランペットやティンパニのパートが見当たらず、そのことが作品に軽やかで親密な響きのパレットを与えている。
この協奏曲は、比較的小規模な古典派オーケストラのために書かれている:1本のフルート、2本のオーボエ、2本のファゴット、2本の変ロ(B♭)管ホルン、そして弦楽、独奏ピアノ(フォルテピアノ)[11]。モーツァルトの他の多くの後期ピアノ協奏曲とは異なり、第27番では意図的にトランペットとティンパニが省かれており、その結果管弦楽のテクスチュアは薄手になる[11]。(実際、ウィーン時代の後期協奏曲で、イ長調の第23番を除くすべてにトランペットと太鼓が用いられているのに対し、K.595では用いられていない[12]。)この控えめな編成が、本作の柔らかな音色に寄与している。木管群には重要な役割が与えられ、しばしばピアノと旋律的な対話を繰り広げ、協奏曲に独特の温かみと色彩を添える。同時代の論者も、モーツァルトが本作で木管に頻繁に依拠していることが「この協奏曲の最も顕著な特質である温かみを一層高めている」と指摘している[13]。金管のファンファーレや打楽器がないことも、作品の親密で室内楽的な性格を強めている。総じてオーケストレーションは、協奏曲の円熟し抒情的な性格にふさわしく、繊細かつ明晰にピアノを支える。
形式と音楽的性格
本作は、モーツァルトのピアノ協奏曲に典型的な「速・遅・速」の三楽章構成に従う。
Allegro(変ロ長調)— 第1楽章は協奏曲ソナタ形式。冒頭は管弦楽の提示部で、いくつかの優美な主題が提示される。主題の中心は穏やかで抒情的な旋律で、ヴァイオリンと木管が受け渡しながら奏し、上品で「漂うような抒情」をオーケストラ全体に醸し出す[14]。続いて対照的な素材がいくつか現れる—ひとつはヴァイオリンのさえずるような音型による、よりユーモラスで遊戯的な主題、もうひとつは歌うように穏やかな主題である[15]。注目すべきは、楽章自体は長調でありながら、モーツァルトが短調の影をほのめかしている点である。たとえば第2主題は属調の短調(ヘ短調)で提示され、展開部の早い段階でも遠隔調の短調へ短く踏み込む[16]。ピアノは主題を繊細に装飾しつつ再提示して入場し、その後、管弦楽との対話のなかで主題を展開し変奏していく[15][17]。展開部は簡潔ながら主題的に豊かで、モーツァルトは動機を分割し再結合させ、果敢な転調(60小節ほどのあいだに約20回も調を移す)[17][18]。構成は高度であるにもかかわらず、楽章の性格は気品があり、力みがない。独奏の書法は明晰で、技巧的要求は比較的控えめ(とりわけモーツァルトの以前の協奏曲に見られる華やかなヴィルトゥオジティと比べれば)[13]。これは、モーツァルトが技巧の誇示よりも表現的な対話を重んじたことを示唆する。ニュアンス豊かな再現部の後、モーツァルトはカデンツァ(独奏者による即興的な華やぎ)を置いている。初演では即興した可能性が高いが、のちにこの楽章(および終楽章)のカデンツァを書き残しており、演奏者にモーツァルト自身の装飾を示す幸運な史料となっている[19]。カデンツァでは先行する主題(とりわけ抒情的な第2主題)が回想され、最後は管弦楽のトゥッティで静かに楽章を閉じる[20]。全体として第1楽章は、古典的な優雅さと胸に迫る底流とを巧みに両立させている。その「抑えられた親密さ」と明晰なテクスチュアからは、作曲者の私的な苦悩は露わにならない[21]。
ラルゲット(変ホ長調)– 第2楽章は静穏な緩徐楽章で、標語はラルゲットで、変ホ長調という下属調に置かれている。形式は単純三部形式(A–B–A)の歌謡的な設計。冒頭でピアノが主題を提示する。それは「愛らしい旋律」で、柔らかく心にしみるもので、のちにオーケストラが引き継ぐ[22]。この旋律はほとんどアリアのような性格で展開し、しばしばオペラ的なカンタービレと比較される。実際、ある研究者はこの楽章を「清冽で、オペラ的なミニアチュリズム」と、その繊細な表現力を評している[23]。中間部(B)は新たな優美な主題を導入し、遠隔調へと転調して、音色の対比をもたらす[24]。全体として長調の静けさが保たれているにもかかわらず、モーツァルトはここでも一瞬の翳りを忍び込ませる。ラルゲットの途中で音楽は主調の短調(変ロ短調)に触れ、また、終止の直前にオーケストラが鮮烈な不協和音を差し挟む箇所もある[22]。もっとも、こうした緊張の瞬間は短く、楽章の感傷の深みをいっそう高める働きをしている。冒頭部の回帰では、最初の主題が旅路を経て豊かさを増して戻ってくる。全篇を貫く雰囲気は静穏で詩的な内省であり、解説者たちはしばしば、満ち足りた心持ちにほのかな憂愁が差す感覚を指摘する。ある記述の言い回しを借りれば、このラルゲットではピアノ右手の独奏線が伴奏の上を「舞い上がり、漂う」ように、やわらかな切なさを湛えて歌う[25]。この緩徐楽章の扱いにおけるモーツァルトは、驚くほど親密で飾り気がない**ため、旋律と和声そのものの美しさが率直に語りかけてくる。
アレグロ(変ロ長調)– 終楽章は、ロンドとソナタの要素を併せ持つ、陽気でゆとりのある変ロ長調のアレグロである。その主要主題は優美で民謡風の旋律で、モーツァルトが自作のドイツ歌曲「Sehnsucht nach dem Frühlinge」(春への憧れ、K.596)[26]。これによって楽章には温かく、どこか郷愁を誘う風味が加わる。モーツァルトは作品目録で、この協奏曲のすぐ後にその「春」の歌曲を記しており、1791年初頭に立て続けに作曲したことを示唆している。ロンド主題の歌詞(「来ておくれ、やさしい五月よ…」)は、執筆当時のモーツァルトの希望に満ちた心持ちを暗示している[27]。楽章は反復主題と対照的な挿話とを交互に配して進む。ある挿話では、より力強いアイデアと短い短調への逸走が導入され、陽光が戻る前にひとさじのドラマが加えられる。終楽章を通して気分は上機嫌で満ち足りており、モーツァルトの初期のいくつかの協奏曲に見られるような猛々しいフィナーレや派手なヴィルトゥオジティはない。最後の再現とコーダの前に短いカデンツァ(モーツァルト自身の自筆版も残る)が置かれる[28][19]。このカデンツァも第1楽章同様、規模は控えめで、技巧の誇示よりも旋律的抒情に焦点が当てられている。協奏曲はその後、穏やかな別れの気配のうちに、静かに晴れやかに終わる。注目すべきは、モーツァルトがさりげない循環的統合を楽章間に実現している点である。すなわち、ラルゲットの主要主題が終楽章の中に(第2主題として)短く回想される[29]。これは当時としては珍しい、先駆的な連結の工夫である。こうした主題回想に、あの「春」の歌曲の旋律の再利用が加わることで、協奏曲全体に物語性のある統一感が与えられている。
様式的に見れば、K.595はモーツァルトが1780年代半ばに書いた壮大でヴィルトゥオーゾ的な協奏曲群とは一線を画す。きらびやかな輝きの代わりに、これは「成熟した静けさ」と簡素さを漂わせ、これを「円熟」あるいは「胸に迫る控えめさ」[21]。ピアノの役割はしばしば内省的で、露骨に外向的に振る舞うのではなくオーケストラと一体化している。しかし、その穏やかな肌合いの下には、紛れもない感情の深みが宿る。19・20世紀の一部の批評家(とりわけカスバート・ガードルストーン)は、この協奏曲に秋めいた哀愁が差していると解釈し、「諦観と郷愁が協奏曲全体に悲しみのヴェールをかけ……夕映えを投げかけ、人生の終焉を告げる」[30]。こうした詩的な解釈は、これがモーツァルト最後の協奏曲だと知っているがゆえに生じたものだろうが、この作品に潜む静かな感情の底流を照らし出すものでもある。実際、この曲の穏やかな美しさの背後には、もの悲しく内省的な趣がないわけではない。とはいえ、多くの分析者は、音楽そのものに過剰な悲劇性を読み込むことに注意を促している。協奏曲の形式の均整と旋律の優雅さは、作曲者の差し迫った運命を「示すような実質的な音楽的兆候を何ら与えない」満足感の雰囲気を放っている[31]。ロサンゼルス・フィルのプログラム・ノートが述べるように、モーツァルトは無比のピアノ協奏曲の系譜に「ヒロイズムも自己憐憫もなく—ただ微笑みとともに」幕を下ろしているように見える。もっとも、その微笑みの端には「かすかな諦念」が漂うのだが[23]。総じて言えば、第27番ピアノ協奏曲の特徴は、控えめで抒情的な美しさと深い終止感であり、しばしば秋めいた、親密で、胸に迫ると形容される作品である。壮大な告別ではなく、穏やかな別れの挨拶を差し出して終わる。
受容と遺産
1791年の初演に際して、モーツァルト最後のピアノ協奏曲は会場の聴衆におおむね好意的に受け止められたと伝えられる。すでに述べたように、初演では作品そのものとモーツァルト自身のピアニズムの双方が称賛を浴びた[9]。しかしモーツァルトの没後の数十年間、この協奏曲は彼の初期のいくつかの協奏曲ほどの名声をすぐには得られなかった。19世紀には、上演頻度も低く、ニ短調やハ長調のようなより華やかな協奏曲に比べて演奏される機会が少なかった。K.595におけるモーツァルト晩年の様式—きわめて繊細で控えめな書法—は、より劇的な協奏曲を好んだ19世紀の趣味と歩調が合わなかったのかもしれない。音楽学者サイモン・キーフは、「戴冠式」協奏曲(第26番)も第27番も19世紀にはモーツァルトの最も人気のある器楽作品には数えられず、第27番が本来受けるべき学術的評価を得始めたのは20世紀に入ってからだと指摘している[32]。実際のところ、長いあいだ批評家たちは、モーツァルトの初期のウィーン時代の協奏曲と比べ、この協奏曲には相対的にあまり注意を払ってこなかった[33]。
しかし時が経つにつれ、演奏家や論者は第27番ピアノ協奏曲の独自の特質を大切にするようになった。その穏やかな抒情性と内省的な語り口は、モーツァルト晩年の天才の証しとして称賛されてきた。初期の論者のギルドストーンのように、そこにモーツァルトの終焉の前触れを見た者もいた[30]が、後世の書き手は、この音楽の静けさと露骨な陰鬱さの欠如を強調することで、その見方に均衡を与えている[21]。こうした解釈の対話はこの協奏曲の遺産をむしろ豊かにしてきた。すなわち、物憂げな別れとしても、また単にモーツァルトの純粋で、古典的洗練。現代のプログラムノートはしばしば、この作品の秋の趣と「変容した」静けさを強調し、モーツァルト晩年の他の傑作(たとえばクラリネット協奏曲やレクイエムの一部)と比較し、異界の平安を湛えるさまを指摘する。さらに、学者たちは、モーツァルトが最後の二つの協奏曲においてピアノ協奏曲という形式をさりげなく再創造していたことを指摘している。楽章をまたぐ主題の統合や、K.595における切り詰められた編成は、19世紀の瀬戸際にあってモーツァルトが新しく先見的な発想を探っていた証左と見なしうる[34]。
20世紀に入ると、この協奏曲の評価は着実に高まっていった。とりわけピアニスト=研究者や古楽演奏の担い手がそのニュアンスを再発見するにつれ、モーツァルトの協奏曲の定番として位置づけられるようになった。20世紀半ばまでには、第一線のピアニストたちがプログラムに取り上げ録音もし、しばしばその室内楽的性格を引き出した。今日では、K.595は抑制と抒情の傑作とみなされている。たとえば「エルヴィラ・マディガン」協奏曲(第21番)のすぐ口ずさめるような名声や、第20番の嵐のような劇性には及ばないかもしれないが、第27番をモーツァルトのこのジャンルにおける集大成として深く心を動かす作品だと考える向きは多い。その伝承はまた、モーツァルト最後の協奏曲であるという切なさとも結びついており、この事実が音楽史における特別で甘苦しい位置づけを与えている。後世の作曲家との類似を指摘する者もいる。たとえばヨハネス・ブラームス(自身の第2番ピアノ協奏曲が最後の協奏曲だった)は第27番を賞賛していたと伝えられ、ある分析者はブラームスの協奏曲のオーケストレーションにその作品への示唆が見られると述べている[35]。こうした関連が意図的かどうかは別として、偉大な作曲家がいかに別れを告げるのかについて、モーツァルト最後の協奏曲が幾世代もの音楽家に省察を促してきたことは明らかである。
解釈と録音
その繊細な性格ゆえに、モーツァルトのピアノ協奏曲第27番は、感受性と明晰さを、派手なヴィルトゥオーゾ的技巧よりも重んじる「ピアニストのための協奏曲」と見なされる。初演者はモーツァルト自身で、1791年の演奏によって幸先のよい船出を飾った。モーツァルトの死後、この協奏曲は弟子たち、そして後には19世紀のピアニストによって時折演奏されたが、モーツァルト再評価が進むにつれて20世紀に本当に標準的レパートリーへと定着した。1930〜40年代には、アルトゥール・シュナーベルがモーツァルトの協奏曲を擁護・普及し、実際シュナーベルは1939年のロサンゼルス・フィルによるK.595初演でソリストを務めた[36]。その後、名だたるモーツァルト弾きのほとんどがこの作品に取り組んでいる。20世紀半ばには、次のような芸術家たちの手でそのエレガンスが称えられた——クララ・ハスキル、リリ・クラウス、ヴィルヘルム・ケンプ、そしてワルター・ギーゼキングらが20世紀半ばを彩り、いずれもそのエレガンスを引き出した。のちには、偉大なモーツァルト解釈者であるダニエル・バレンボイム、アルフレッド・ブレンデル、マレイ・ペライア、内田光子、マリア・ジョアン・ピリス、リチャード・グード、アンドラーシュ・シフ(ほか多数)も名演・名録音を残している。
さまざまな解釈のアプローチが、この協奏曲の多面的な性格を照らし出す。なかにはフォルテピアノ(現代ピアノの18世紀の祖先)で演奏して、この作品本来の響きの世界を再現しようとするピアニストもいる。たとえばマルコム・ビルソンやロバート・レヴィンはピリオド楽器で録音し、その親密なスケールを強調した。現代ピアノで演奏する場合でも、しばしば室内オーケストラの伴奏を用いてテクスチュアの透明性を保つ。実際、この作品の親密さは小編成にこそふさわしく、ピアノと木管のやり取りが精緻に描かれる。最近のある評者は、「親密」な第27番が「より高いアンサンブルの一体感を示す」と、室内オーケストラ編成において述べ[37]、マリア・ジョアン・ピリスとクラウディオ・アバド(そして精鋭を集めたオーケストラ・モーツァート)による録音を、統一感のある響きと表情のニュアンスの理想的な融合として推奨した[38]。概して現代の指揮者やピアニストは、この協奏曲でフレージングの明晰さ、伸縮性のあるテンポ、対話的な語り口を志向し、その繊細な詩情が自然に花開くようにしている。
K.595の優れた録音はいくつもあり、その洞察ゆえによく言及される。たとえば、アバドと共演したマリア・ジョアン・ピリスの盤は温かさと親密さで称賛され、アルフレッド・ブレンデルの録音(とりわけサー・チャールズ・マッケラスと組んだ後年の盤)は、モーツァルト様式への深い理解で高く評価されている。さらに伝説的ピアニスト、エミール・ギレリスも、美しい音色で名盤を残した。批評家のアンケートではしばしば、リチャード・グードの解釈やピリスの演奏が、ブレンデルと並ぶ標準的な指標として挙げられる[39]。そのほかの優れた録音としては、マレイ・ペライア(イギリス室内管弦楽団との共演)、ダニエル・バレンボイム(全曲を2度にわたり録音)、内田光子(ジェフリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団)などが挙げられる。各ピアニストは異なる陰影を引き出しており、たとえば内田は水晶のような繊細さを強調し、ブレンデルはやや骨太な語り口を与える——それでも皆、この協奏曲が求める抑制と抒情への焦点を忘れない。
この協奏曲では、モーツァルト自身のカデンツァがその真正性と作風への適合ゆえに一般に用いられていることも特筆に値する[19]。とはいえ、後世の音楽家が別のカデンツァを書いた例もある。作曲家でピアニストのヨハン・ネポムク・フンメル(モーツァルトの弟子)は第27番のためのカデンツァを作曲しており、19世紀のヴィルトゥオーゾ、カール・ライネッケもまた同様である。こうしたカデンツァは時折演奏されるものの、今日の演奏家はたいていモーツァルトのオリジナルを選ぶか、当時の様式に即した即興を行うことが多い。
実演では、変ロ長調の協奏曲はしばしば、「秋」を思わせる、リサイタルや演奏会のプログラムを内省的な余韻で締めくくる作品として評価される。熱狂的なフィナーレのように場内を沸かせて拍手喝采を呼ぶことはなく、むしろ聴衆はしばしばその控えめな美しさと、これがモーツァルト最後のピアノ協奏曲であるという痛切な事実に打たれる。ある批評家は的確にこう要約している。第27番は「抒情性、技巧、感情の深みを融合した崇高な作品であり……静謐な序奏が、優しい憂愁から勝利の高揚へと向かう旅の調子を定める」、まさにモーツァルトの遺産にふさわしいオマージュとなっている[40]。今日、この協奏曲は、技巧誇示よりも音楽の詩情を重んじるピアニストたちの愛奏曲として親しまれている。その最良の解釈者たちは、モーツァルトの円熟の簡潔さ—晩年の彼が鍵盤上でこの上なく明晰かつ優雅に語っていた、という感覚を伝える。ピアノ協奏曲第27番は穏やかな別れではあるが、その語り口は深く雄弁で、モーツァルトの卓越したピアノ協奏曲の連作を、超然たる静けさと繊細な感情の共鳴を湛えた作品で締めくくっている。
参考文献:
出典
Mozart’s autograph manuscript and historical notes[41][42]; scholarly commentary by Simon Keefe[32]; program notes by Orrin Howard (LA Phil)[13][23]; Houston Symphony blog by Calvin Dotsey[3][43]; Interlude article by Georg Predota[7][31]; Cuthbert Girdlestone, Mozart and His Piano Concertos (quoted in LA Phil notes)[30]; Anne Queffélec album review (Tal Agam, The Classic Review)[37][39]; and other referenced musicological sources.
[1][2][8][10][11][12][16][19][26][29][34] Piano Concerto No. 27 (Mozart) - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Piano_Concerto_No._27_(Mozart)
[3][15][17][20][22][24][43] Mozart's Last Solo: The Piano Concerto No. 27 in B-flat Major, K. 595
https://houstonsymphony.org/mozart-piano-concerto-27/
[4][5][13][14][21][23][30][36] Piano Concerto No. 27, K. 595, Wolfgang Amadeus Mozart
https://www.laphil.com/musicdb/pieces/2767/piano-concerto-no-27-k-595
[6][7][9][18][25][27][31][35][40] Piano Concerto No. 27: Mozart's Final Piano Concerto
https://interlude.hk/on-this-day-4-march-mozart-piano-concerto-no-27-k-595-was-premiered/
[28][37][38][39] Review: Mozart - Piano Concertos No. 20&27 - Anne Queffélec
https://theclassicreview.com/album-reviews/review-mozart-piano-concertos-no-20-27-anne-queffelec/
[32][33] A Complementary Pair: Stylistic Experimentation in Mozart's Final Piano Concertos, No. 26 in D, K. 537 (the ‘Coronation’), and No. 27 in Bb, K. 595 (Chapter 3) - Mozart's Viennese Instrumental Music
[41][42] File:Mozart, Piano Concerto No.27 in Bb Major, K595, autograph manuscript (f.1r).jpg - Wikimedia Commons