K. 203

セレナード第4番 ニ長調「コロレド」(K. 203)

沃尔夫冈·阿马德乌斯·莫扎特

Miniature portrait of Mozart, 1773
Mozart aged 17, miniature c. 1773 (attr. Knoller)

モーツァルトの《セレナード第4番 ニ長調》「コロレド」(K. 203)は、18歳の1774年8月にザルツブルクで作曲された。儀式用途のために書かれ、ザルツブルクの管弦楽セレナードが最も野心的なかたちで示された作品である――屋外の娯楽音楽であると同時に、公的な場での「見せる」ための音楽であり、しかも内側の楽章では、名称こそ違えど驚くほどヴァイオリン協奏曲に近い性格を備えている。[1][2]

背景と位置づけ

モーツァルトがザルツブルクにいた時代、管弦楽セレナードは小品ジャンルではなく、実用的で――しかも名誉ある――重要な領域だった。こうした作品は、公的な機会、すなわち大学の式典、市民の祝祭、貴族の催しのために作られ、しばしば屋外や大広間で演奏された。そこで求められたのは、明快で大胆な調性設計と、ひと目(ひと耳)で華やかさが伝わる輝かしい書法である。モーツァルトの《セレナード第4番 ニ長調》K. 203 も、この「機能音楽」の世界に属しながら、終始「本格的な」演奏会用音楽が仮面をかぶっているかのように振る舞う。規模は大きく、器楽的な見せ場に富み、娯楽音楽という看板から想像される以上に構造が洗練されている。[1]

「コロレド」という通称は、少なくとも後世の伝承において、この作品をザルツブルク大司教ヒエロニュムス・フォン・コロレド――モーツァルトの雇用主であり、のちに伝記上では対立者として描かれる人物――に結びつける。現代のカタログ概説では献呈の経緯が必ずしも詳述されないとしても、この関連付けは作品の性格をよく言い当てている。すなわち、制度や要人のための音楽であり、トランペットとホルンに自然に適する明るく公的な調(ニ長調)によって、儀式的な自信を投影するのだ。[1]

作曲と初演

このセレナードは、1774年8月にザルツブルクで書かれたことが確実視されている。モルガン・ライブラリー所蔵の自筆譜には、その月に日付を特定できる明確な書き込みが残っており、ザルツブルクの機会音楽としては珍しく年代が具体的に押さえられる。[2] さらに近年の参照資料では、K. 203 をザルツブルク大学の式典と関連づける説明もなされる。そうした場を想定すれば、多楽章にわたる構成、祝祭的な編成、壮麗な冒頭音楽と軽やかな舞曲楽章の交替が自然に理解できる。[1]

多くのザルツブルク・セレナードと同様、K. 203 は独立した行進曲とも結びついていた。当時の慣習では、Einzug(入場)や退場の音楽で作品を枠づけることが多く、ニ長調の行進曲 K. 237 が K. 203 と併用されたと伝えられている。[1] つまりこのセレナードは、8楽章からなる演奏会用の「一作品」であるだけでなく、移動、集合、そして公的な演出を伴う、より大きな儀式的「パッケージ」の一部として設計されていたのである。

編成

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K. 203 は、規模は引き締まりながらも、屋外でも響きが通る輝かしさを備えたザルツブルクの「祝祭」オーケストラのために書かれている――弦楽器に、管と金管を加えて補強した編成である。

  • 木管: オーボエ2(フルート持ち替え)、ファゴット1
  • 金管: ホルン2、トランペット2
  • 弦: ヴァイオリンI & II、ヴィオラ、チェロ、コントラバス

この編成は、含まれるものだけでなく、欠けているものも注目に値する。クラリネットはない(1770年代半ばのザルツブルクでは、まだ管弦楽編成に常用されていなかった)、ティンパニもない。しかしトランペットの存在が、作品に明確な儀式的光沢を与えている。この枠組みの中でモーツァルトは、独奏的な対比を鋭く意識して書いている。少なくとも一つのトリオではファゴットにとりわけ自立した役割が与えられ、さらに中核部ではヴァイオリン書法があまりに前面化するため、結果としてセレナードを混成ジャンルへと作り替えてしまう。[1]

構成と音楽的性格

K. 203 は8楽章から成り、これは大規模なザルツブルク・セレナードに典型的な建築である。だが内部の重心配分は尋常ではない。公的で祝祭的な身振りと、中央部で際立つヴァイオリンの妙技への集中が拮抗している。

楽章構成

  • I. Andante maestosoAllegro assai
  • II. (Andante)
  • III. Menuetto – Trio
  • IV. (Allegro)
  • V. Menuetto – Trio
  • VI. (Andante) – Coda
  • VII. Menuetto – Trio
  • VIII. Prestissimo – Coda

第1楽章は、ゆったりした maestoso の序奏――儀式の「到来」を告げる音楽――で始まり、その後に生気あふれる Allegro assai へ移る。緩徐序奏+快速主部という二部構成の冒頭は、これらのセレナードが交響曲的な志向を帯びて聴こえる理由の一つである。レトリックは装飾的というより、公的で建築的だ。[1]

しかしこのセレナードの最大の特色は、第II〜IV楽章にわたる内側の連なりにある。ここでは第1ヴァイオリンが執拗なほど前に出て、しばしばこの3楽章がセレナードの中に埋め込まれた小さなヴァイオリン協奏曲として語られる。[1] モーツァルトがこの部分で主調(ニ長調)に留まらず、非主調の調域を選んでいることは、より大きな儀式的枠組みの内部に置かれた、自立した「協奏」エピソードという印象をいっそう強める。[1]

舞曲楽章――トリオ付きのメヌエットが3曲――は、作品を社交的機能へとしっかり結びつける。だがここでもモーツァルトは手堅いだけでは終わらない。第2メヌエットのトリオは、とりわけ独立したファゴット独奏線を備える点で特筆される。これは、最良のザルツブルク・セレナード様式を示す好例である。単なる踊りの「伴奏」ではなく、色彩と個性、そして個々の奏者を引き立てる場になっているのだ。[1]

終楽章は Prestissimo。期待通りの華やかな締めくくりで、速く、推進力に焦点が当たる。屋外や行進を伴う用途においては、この結尾は音楽的であると同時に機能的でもある――最後のエネルギーの奔流で場を解き散らすのである。

受容と遺産

K. 203 は、レパートリー上の「隙間」に置かれている。あまりに機会音楽的で普遍的な演奏会の定番になりにくい一方、単なる背景音楽として片づけるには充実しすぎている。今日相対的に知られていないのは、主としてプログラミングの習慣の問題――現代のオーケストラ文化がモーツァルト晩年の交響曲、ピアノ協奏曲、そしていくつか名高いセレナードを好む――によるもので、作品の質を反映したものではない。実際K. 203 は、18歳のモーツァルトの説得力あるスナップショットを提供する。公的儀礼のレトリックにすでに通暁し、楽器のキャラクター描写にも長け、しかも協奏曲的な妙技を多楽章の娯楽形式の内部に据えることで、ジャンルの境界を曖昧にする意志をすでに示している。[1]

歴史的に見れば、管弦楽セレナードは、のちの演奏会作品を取り出し得る「鉱脈」でもあった。モーツァルトの複数のザルツブルク・セレナードと同様、K. 203 からも後年、交響曲風に楽章を抜粋・編成した版(第1・終楽章と、後半の連なりの一部に基づく)が作られている。これは、このいかにも機能的な作品が、いかに交響曲的思考へ接近し得るかを物語る。[1] モーツァルトを主としてウィーン時代の傑作で知る聴き手にとって、「コロレド」セレナードはまさに注目に値する。若き作曲家が大規模な管弦楽設計を、まさに彼がほどなくして「卒業」することになる環境――ザルツブルクの儀礼生活――のただ中で手なずけていく姿を示しているからである。

[1] Wikipedia: Serenade No. 4 (Mozart) — overview, Salzburg University ceremonies, instrumentation, movement list, concerto-like inner movements, linked March K. 237, and later symphony arrangement.

[2] The Morgan Library & Museum: Autograph manuscript record for Serenade for orchestra in D major, K. 203 — dated August 1774 with inscription.