K. 129

交響曲第17番 ト長調(K. 129)

沃尔夫冈·阿马德乌斯·莫扎特

Miniature portrait of Mozart, 1773
Mozart aged 17, miniature c. 1773 (attr. Knoller)

モーツァルトの《交響曲第17番 ト長調 K. 129》は、作曲者が16歳だった1772年5月に完成した、ザルツブルク時代の簡潔な一作である。後年の「番号付き」交響曲の陰に隠れがちではあるものの、若きモーツァルトが流麗なイタリア風の交響曲様式を磨き上げていく姿がくっきりと示される——身のこなしは軽く、管弦楽の色彩に敏感で、すでに小さな動機から大きな流れを形づくる自信に満ちている。[1]

背景と文脈

1772年春、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756–1791)はイタリア旅行の合間にザルツブルクへ戻り、君主大司教の宮廷における音楽活動のために作曲していた。この時期の交響曲はたいてい、速い—遅い—速いの3楽章からなる簡潔な作品で、出版や国際的流通のためというより、手持ちの宮廷オーケストラで実用的に上演する目的にかなうよう書かれている。[3]

K. 129は、1772年5月に立て続けに書かれたザルツブルク交響曲群(K. 128–130)に属し、この時期のモーツァルトの管弦楽法がとりわけ引き締まっていることを示す。テクスチュアは痩身であることが多く、音楽の論理は輪郭の鋭い主題によって担われ、管楽器は完全に独立した対位法というよりも、色彩と句読点として用いられる傾向がある。[1] こうした音楽では、「小さい」ことは決して気軽さを意味しない。本作が注意深い耳に報いるのは、限られた手段のなかで推進力と対照を素早く生み出す術を、モーツァルトがいかに急速に身につけたかを明かすからである——それらの技は、のちに1780年代の交響曲で大きく花開く。

作曲と初演

この交響曲は一般に1772年5月ザルツブルク作とされ、その月にモーツァルトが完成させた3曲の交響曲のうち第2作に当たると説明されることが多い。[1][3](一部の素材はそれ以前に生まれていた可能性もあり、モーツァルトが——18世紀の多くの作曲家と同様に——状況に応じて着想を再利用し、改作し得たことを思い起こさせる。[1]

初期ザルツブルク交響曲の多くと同じく、K. 129には初演を裏づける確実な記録が残っていない。おそらく宮廷での使用を想定したもので、サロン風の演奏会、祝祭の機会、あるいは劇付随音楽の合間など、管弦楽が必要とされる場に応じてザルツブルクの楽団により演奏されたのだろう。後世19世紀的な意味での単一の公開「初演」を目指した作品ではない。[3]

編成

モーツァルトはK. 129を、1770年代初頭のザルツブルクにおける標準的なオーケストラ編成で書いている。[1]

  • 木管: オーボエ2

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  • 金管: ホルン2
  • 弦楽: ヴァイオリンI&II、ヴィオラ、チェロ、コントラバス

管楽器の扱いは当時の特徴をよく示す。オーボエはしばしば弦の高声部を補強して輝きを与え、ホルンは和声的な重みと屋外的な響きを添える。K. 129がとりわけ魅力的なのは、モーツァルトがオーケストラの「照明」を巧みに変化させている点にある——全合奏の厚みある響きと、より透けた弦のテクスチュアとを行き来し、とりわけ緩徐楽章でそれが際立つ。[1]

形式と音楽的性格

K. 129は3楽章からなるイタリア風の構成に従っているが、その馴染み深い枠のなかに、鮮やかな身振りと驚くほど個性的な輪郭を織り込んでいる。

  • I. Allegro(ト長調)
  • II. Andante(ハ長調)
  • III. Allegro(ト長調)[1][3]

I. Allegro

第1楽章は初期古典派的な推進力の好例で、エネルギッシュでリズムの弾みがよく、即効性のある効果を狙っている。注目すべき特徴は、名高いマンハイム楽派のオーケストラに結びつけられるマンハイム・クレッシェンド(音量とテクスチュアが段階的に膨らむ表現)をモーツァルトが用いていることだが、ここでは見せ場づくりというより、長いフレーズを形づくり到達点を際立たせる手段として機能している。[1] 興奮の「配分」を学びつつあるモーツァルトの姿が聴き取れる。単に主題を提示して反復するのではなく、弦と管の素早いやり取りや、細やかなリズムの組み替えによって、表面をつねに動かし続けるのだ。

II. Andante(ハ長調)

Andanteは下属調のハ長調へ移り、18世紀に典型的なやり方で、より柔らかく明るい対照を作り出す。モーツァルトはさらに、独奏ヴァイオリンの旋律線を前面に出して楽章を際立たせる——ヴァイオリン奏者のリーダーが一歩前へ出るよう促す点で、ほとんど協奏曲的な感触すらあるテクスチュアだ。[1] その結果、この交響曲に親密な中心が生まれる。レトリックは公的で外向きな身振りから、控えめな伴奏に支えられた歌う旋律へと転じていく。

III. Allegro

終楽章はト長調と快速テンポを取り戻し、明晰なアーティキュレーションと機敏な締めくくりを目指す。初期モーツァルトの終楽章における機知は、露骨な冗談からではなく、タイミングから生まれることが多い——突然の音域の転換、素早い終止の運び、そしてフレーズが予想より一拍早く、あるいは遅く「自分自身に返答する」かのように聞こえる瞬間。K. 129はそうした簡潔さの美学を体現している。音楽は逡巡しない——だが、その長居を拒むところにこそ、精緻な職人技がある。

受容と遺産

交響曲第17番は、モーツァルトの交響曲のなかでもとりわけ頻繁に取り上げられる作品ではない。その一因は、初期ザルツブルクの管弦楽作品が膨大で、後世の聴衆がそれらを見習い仕事として扱うことが少なくなかった点にある。とはいえ近年の演奏・録音文化は、これらの交響曲を様式形成の記録として、またそれ自体が魅力的な演奏会のオープニングとして、いっそう高く評価するようになってきた。[3]

では、K. 129をより注意深く聴く価値はどこにあるのか。第一に、16歳のモーツァルトが実際の奏者のために、職業的な確かさをもって書いている点である。書法は自然で、運びはきびきびとしており、対照の配置も明快だ。第二に、一見「標準的」な3楽章構成でも、なお個性を引き出し得ることを示している点である——とりわけ第1楽章のダイナミクスの造形(マンハイムに触発されたクレッシェンド)と、緩徐楽章における独奏ヴァイオリンのカンタービレによって。[1]

1772年5月の姉妹作(K. 128およびK. 130)と並べて聴くと、K. 129は若い作曲家の交響曲的な声が急速に固まりつつある道筋を示してくれる。最終三部作(K. 543、550、551)の壮大な建築家にはまだ至らないが、それでもすでに驚くほど精密な音楽のドラマ作家であり、十数分を完結した、よく語られた物語として感じさせるだけの力を備えている。[1]

乐谱

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[1] Wikipedia: overview, dating (May 1772), scoring, movements, and notable features (Mannheim crescendo; solo violin in slow movement).

[2] IMSLP PDF score (public-domain edition): reference for the work and its three-movement layout.

[3] IMSLP work page: composition date (1772, May), movements, instrumentation, and publication information.