K. 208

モーツァルトの「交響曲第52番 ハ長調」終楽章(《羊飼いの王様》K. 208より):オペラの抜粋が「交響曲」になった理由

沃尔夫冈·阿马德乌斯·莫扎特

Miniature portrait of Mozart, 1773
Mozart aged 17, miniature c. 1773 (attr. Knoller)

いわゆる「交響曲第52番 ハ長調の終楽章」は、そもそもモーツァルトの独立した交響曲として書かれたものではない。1775年のザルツブルクで作曲されたモーツァルトのセレナータ《羊飼いの王様》(Il re pastore、K. 208)から後世に寄せ集められた演奏会用の楽曲である。にもかかわらずこの呼称が残ったのは、19世紀の編集者や出版社が、序曲やアリア、さらに付け足した終曲から管弦楽抜粋やパスティッチョ的な「交響曲」を作って流通させたためだ――モーツァルトの場合、出自は劇場音楽であっても驚くほど交響曲的に響きうるからである [1] [2] [3].

背景と文脈

1775年4月、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756–1791)は19歳。ザルツブルクで職を得て、特定の宮廷行事のための劇音楽を書いていた。題材となったのは、マリア・テレジア女帝の末子であるマクシミリアン・フランツ大公の同市訪問である [2] [4]。その成果である《羊飼いの王様》(Il re pastoreK. 208)は、今日ではしばしばオペラとして紹介されるが、同時代人や後代の論者はしばしばこれを serenata(セレナータ)――opera seria と儀礼的カンタータの中間に位置する、祝祭性を帯びた半劇的ジャンル――に分類してきた [2]

ここで扱う「交響曲第52番 ハ長調の終楽章」という珍妙な存在も、まさにこの“ジャンル境界のゆらぎ”の世界に属する。モーツァルトのザルツブルク時代の劇作品は、演奏会用に転用されるのが常だった。序曲は単独で流通し、アリアは別用途に差し替えられ、終曲を付けて三楽章の「交響曲」を仕立て、コンサートホール向けにすることもできた。この例がとりわけ興味深いのは、その“後付けの構成体”が音楽的に説得力を持ってしまう点にある。劇場由来の諸楽章は、モーツァルトの交響曲的書法として聴き手が連想する明朗さ、和声の確かさ、形式の明晰さを力強く放ちながら、身振りと推進力へのオペラ的本能をも手放していない。

作曲と委嘱

《羊飼いの王様》は、ピエトロ・メタスタージオのイタリア語台本を、ザルツブルク用にジャンバッティスタ・ヴァレスコが整えた版にもとづく [2]。作曲は1775年のザルツブルクで、大公訪問に関連する大司教宮廷の祝賀行事のために行われた [2] [4]

「交響曲第52番」という呼称は、モーツァルトの意図ではなく、後世の出版史から生まれた。19世紀には、よく知られた交響曲1〜41番の系列を超えて、番号のない交響曲(や交響曲“らしき”寄せ集め作品)に42〜56番の番号を付す伝統があり、その枠内で《羊飼いの王様》素材を用いたハ長調の複合作品が「第52番」と呼ばれるようになった [1]。一般的に説明される形では、第1楽章がオペラの序曲、第2楽章は冒頭アリアを素材にし(歌の旋律線を別のものに置き換えて)、そして独立したハ長調の終曲――目録上K. 102/213c――が全体を締めくくる [1]

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本稿では、現代の聴き手が出会う「終楽章」という語を、重なり合う二つの意味で扱う:

  • 後世の三楽章構成を完成させる 演奏会用の終曲(K. 102/213c)としての終楽章 [1]
  • 中核素材が劇場音楽であるにもかかわらず、組み上げられた「交響曲」を完結したものとして感じさせる、管弦楽的レトリックの最終的な噴出としての終楽章

台本と劇的構成

メタスタージオの《羊飼いの王様》は、同一性と徳をめぐる牧歌的ドラマである。素朴な生活のうちに育てられた正統な支配者が、私的な愛情と公的な義務のあいだで選択を迫られる。支配とは単なる血筋ではなく、啓蒙された責務であるという物語の倫理的核心は、宮廷祝賀、とりわけハプスブルク家の大公を迎える機会にふさわしかった [4]

二幕の serenata として、本作は三幕制の本格的な opera seria よりも凝縮されている。この圧縮がモーツァルトの音楽的思考を形づくる。各ナンバーは要点を手早く示す傾向があり、感情類型(affetti)の切れ味ある対照と、即時性が重視される。純粋に管弦楽だけのパッセージにおいてさえ、劇的な“手つき”が感じられる。音楽は抽象的に展開するというより、「語り」、転回し、身ぶりを変えていくように思われる。

音楽構造と主要ナンバー

「交響曲第52番」という概念が原初のジャンルではなく“来歴”である以上、その魅力は、異なる機能の断片がいかに説得力をもって一体化しうるかにある。ここで決定的なのがハ長調という枠組みだ。ザルツブルク時代のモーツァルトにとってハ長調はしばしば、公的な輝き――儀礼的なトランペット、祝祭的エネルギー、そして明確な建築的輪郭――を告げる調性である。

管弦楽の枠組み:序曲とその交響曲的可能性

(しばしば単独でも演奏される)序曲は、断固とした宮廷的プロフィールで始まる。幕を上げるための音楽でありながら、演奏会の मंच 上に置いても自立しうる [5]。組み上げられた「交響曲」では、これは名目こそ別として、実質的に第1楽章となり、交響曲の開幕に期待される前進力と調性の明晰さを打ち出す。

「終楽章」問題――そして後世の伝承におけるモーツァルトの解決

「交響曲」へと決定的に踏み込むには、本物の快速終楽章が必要となる。現代的な「交響曲 K. 208+102」の説明では、その結尾楽章はK. 102/213cとされ、別個に作曲されたものが後世の伝承のなかで《羊飼いの王様》の素材に接続された、と理解されている [1]

この終曲が注目に値するのは、単なる目録上の珍しさではなく、その“働き”にある。劇場由来の素材に、三楽章の演奏会的アーチを後付けで与え、それがあたかも必然であるかのように 感じさせてしまう のだ。ここにはモーツァルト的な逆説がある。終曲は、速く、明るく、決然と終止するという点で、通例の交響曲的要請そのものに聴こえる。だが同時に、きれいに締めて聴衆を沸かせるという、劇場の衝動も宿している。

編成(後世の「交響曲」版のスコアとして伝えられるもの)

組み上げられた交響曲版の説明では、祝祭的なハ長調の編成が典型的に挙げられる:

  • 木管: フルート2、オーボエ2
  • 金管: ホルン2、トランペット2
  • 弦: ヴァイオリンI&II、ヴィオラ、チェロ、コントラバス [1]

オペラ内の各ナンバーでは木管の実際の活躍度が変わりうるとしても、全体の音色設計は、この音楽がいかに容易に「交響曲的」流通へ移行したかを説明してくれる。トランペットと明るいオーケストラの頂点は、19世紀の編集者がハ長調の公的作品に期待したものそのものだった。

初演と受容

《羊飼いの王様》は1775年4月23日、ザルツブルクのレジデンツ劇場(大司教宮殿複合施設内)で初演された。大公訪問の祝賀が直接の背景である [2] [3]

「交響曲第52番」を生み出した後世の受容史は、別の文化的瞬間に属する。そこではモーツァルトの交響曲作品群を体系化し、劇場由来の素材から演奏会レパートリーを供給しようとする志向が働いた。呼称が生き残ったこと自体が、音楽そのものの性格を物語っている。終曲の成功――演奏会作品として説得力ある締めくくりを実現できること――は、モーツァルトが19歳にしてすでに、舞台とコンサートホールを往還しても権威を失わないほど柔軟な音楽言語で書けたことを示す。

要するに、この「終楽章」が注目に値するのは、交響曲番号付けの脚注としてというより、モーツァルトの実務的な作曲姿勢と様式的射程を示す事例研究としてである。1775年のザルツブルクで彼が書いていたのは、特定の夜、特定の聴衆のための音楽だった。だがその職人的な完成度は持ち運び可能だった。後世の「交響曲第52番」は編集上の蜃気楼かもしれない。だが、それは確かなモーツァルトから組み上げられている――劇場に由来することが、演奏会レトリックとして聴かれるとき、むしろその輝きをいっそう際立たせる音楽なのである。

[1] Wikipedia: background on the composite “Symphony, K. 208+102” and the later ‘No. 52’ numbering; outlines movements and scoring.

[2] Wikipedia: Il re pastore (K. 208) — libretto (Metastasio/Varesco), commission context, and premiere date/location (23 April 1775, Salzburg).

[3] Mozarteum Foundation Salzburg event page: notes the 23 April 1775 Salzburg Residenztheater premiere and emphasizes the work’s orchestration and stature.

[4] Naxos booklet (SIGCD433) program notes: context of Archduke Maximilian Franz’s April 1775 visit and Colloredo’s commissions for the festivities.

[5] IMSLP work page for Il rè pastore, K. 208: access point for score materials and overture listings used to corroborate the work’s extant status and performance extracts.